人から取ったあばら骨をひとりの女に造り上げ

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michelangelo buonarroti

彼のあばら骨の一つを取り、

そのところの肉をふさがれた。

こうして神である主は、

人から取ったあばら骨を、

ひとりの女に造り上げ、

その女を人のところに連れて来られた。

   創世記2章21,22節

 それゆえ、

男はその父母を離れ、妻と結び合い、

ふたりは一体となるのである。

    創世記2章24節

   新改訳聖書第3版

 

  夫を見ていると、

「なぜ、それができない?!」

と、驚愕することがある。

 

たとえば、

服をたたむということができない。

 

しつけの問題なのかもしれないが、

本当に、不器用。

 

私は、家事の中で、

衣類の整理が一番好き。

 

私たち夫婦の場合、

得手不得手が真逆だ。

 

完全アウトドア派の夫。

晴れた日は、朝から外で遊ぶ。

 

究極インドア派の妻。

ーーオタク。

 

コツコツと定年まで、

真面目に勤め上げた夫。

 

何をしても続かず、

専業主婦の妻。

 

おそらく夫も、

私を見て、

「なぜ、それができない?!」

と、思っている。

 

持っていないのだから

当たり前だ。

 

本体にないものはあばらにある。

逆もしかり。

 

(よく考えると、

あばら骨というのは、

心臓を守っているのだ。

それくらい大事。)

 

不足を相手の中に探さない。

それは、自分の中にある。

 

結局、二人で完成形なのか。